NYC出身のラッパー2Pac。
21年前に亡くなった彼だが、今なお多くのアーティストから愛され、
またファッションアイコンとして多くのブランドのデザインに用いられている。
先日は、Vloneがコラボレーションを発表するなどその人気は色褪せない。
近年ではKanye West(カニエウエスト)や
Pharrell Williams(ファレル・ウィリアムス)Justin Bieber(ジャスティンビーバー)
など多くのアーティストが彼のHip Hop Tを着用しているのを見かけた方も多いのでは。
そんな彼とHipHop東西抗争について今回は触れてみる。
2Pac(本名:トゥパック・アマル・シャクール) は、NYCのハーレム出身のラッパーである
幼少期をブロンクスで過ごし、ラッパーを目指す為に高校を中退、MCニューヨークという名前で活動を始める。
その当時は、ドラックディーラーとしての収入はあったものの貧しい生活をしていたという。
彼は、デジタル・アンダーグランドという人気グループに認められ、91年に加入。
その後ソロデビューし、92年には映画ジュースに出演、俳優としても注目される。
しかし、暴行を働いたり、警官を狙撃する、レイプ容疑を受けたりと度々逮捕される
ギャングスタ的な行動が多かった。
94年レコーディングに参加する為にタイムズスクエアのスタジオを訪れた2Pacは
5発もの銃弾を被弾する事件に巻き込まれる。
現場にディディとノトーリアス・B.I.G.(ビギー)がいたことから、2Pacはこの事件はバッドボーイの陰謀だと疑った。
これを機にHip Hop界は西海岸と東海岸との激しい対立が始まる。
東西のラッパー同士のBeef(歌詞の中で相手をこき下ろすこと)がエスカレートしていき、
お互いのライブの妨害やファンの間でのトラブルは日常茶飯事となりギャングの銃撃戦も起こる事態となる。
95年レイプ疑惑で4年6ヶ月の判決を受け逮捕されていた2Pac。刑務所内でデスロウレコードと契約。
9ヶ月の服役後、デスロウのオーナーであるシュグ・ナイトが用立てた140万ドルの保釈金で出所。
最初、保釈金はデスロウからの贈与であったが、後にレーベルが2Pacに返済を要求した為、
デスロウから抜けられなくなった。
2PacはNYC出身でイーストサイドを代表するラッパーであったがCalifornia Loveなどの
ヒット曲を多数発表し、ウエストサイドを代表するMCとなる。
バッドボーイのビギーらを激しく罵倒するHit ‘Em Upでは激しい憎悪を顕わにした。
写真は死の直前の2Pac(左)とシュグナイト(右)
96年9月7日、ラスベガスで友人でもあるマイク・タイソン試合を観戦後、
シュグナイトが運転するタイソンの祝勝会へと向かう途中、横付けされた
キャディラックから銃弾を4発被弾、同月13日に死亡。
25歳の若さであった。
翌年、今度はビギーがLAでヒップホップ雑誌『VIBE』主催のパーティーの帰途に銃撃を受け、
1997年3月9日に死亡、ビギーもまた24歳という若さであった。
東西の若きカリスマを失ったHip Hop界、事態はこれを機に沈静化していく。
ノトーリアス・B.I.G(ビギー)
Supremeはイーストサイドということもありビギーから影響を受けた商品がよく見受けられます。
今期複数のアイテムに用いられている666もビギーの影響です。
ファッションアイコンとしても現在にも影響を与えているこの二人、
生きていれば今のファッションのトレンドも変わっていたかもしれませんね。
今後も様々なコラムを書いていきますので、楽しんで頂けると幸いです。
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