HAZEやKAWS、futuraなどストリートアート出身のアーティストが手がけたグラフィックがファッション業界の最高峰のランウェイで登場する現代。
かつては、違法なスプレーでの落書きと人々から思われていたものが、なぜ、アートとしての地位を確立し、モードの最高峰で輝くまでにいたったのだろうか。
ファッション業界から最も多くのオファーを受けているアーティストの一人、futura(フューチュラ) 今回は、そんな彼を中心にアートとファッションの繋がりに注目したい。
直近では、LOUIS VUITTONでのランウェイで行ったスプレーペイント、SUPREME、OFF WHITE、そしてComme des garconsとのコラボレーションなどが印象に残る。
FUTURAは、1955年にニューヨークに生まれた。ジャン=ミシェル・バスキアやキース・ヘリング、そしてニューヨークのサブウェイグラフィティアートに影響を受け1970年代から活動を開始。
サブウェイスクールと呼ばれた地下鉄のグラフィティーシーンの中で独自のスタイルを構築、やがてそのシ
ーンで台頭していく。80年代になると自身が影響を受けたストリートアートの先駆者達がアート業界で高い評価を受け、シーンは拡大。
futura自身もThe Clashのカバーを手がける傍らでキャンバスペイントを始め、彼自身の評価も高まってい
くが、バスキアとウォーホールの展覧会を最後にシーンは縮小していく。90年代に入るとfuturaは、スタッシュとガーブと共にデザインスタジオGFSを設立。その後、ガーブが脱退、新たにブルーが加わりデザインスタジオ兼ブランドBSF(別名:Project Dragon)を新設するも、ブルーが死去してしまう。
そんな中、フューチュラは、英国のレーベルMOWAXのジェームス・ラヴェルと出会い、95年に日本ツアーに同行。ここで藤原ヒロシ氏やNIGO氏、高橋盾氏などと運命的な出会いを果たすと、彼とファッションシーンがついに結びつく。
BAPEとのコラボレーションなどで日本のストリートシーンでのfuturaの認知が高まっていく。

1998年になるとBSFもRECONという名のブランドに変わり、フューチュラは個人でもアート活動と並行してブランドFUTURA LABORATORIESを立ち上げる。ラボラトリーというブランド名通りフューチュラにとっては、様々なデザインを試すと共にアーティストがファッション業界に進出するということも試験的な試みだったのかもしれない。近年では、村上隆氏やDaniel Arshamがブランドを立ち上げているが、アーティストがファッションシーンへ進出するというきっかけを作ったのは、FUTURA LABORATORIESかもしれない。
futuraは、限られた層にしか購入できないアートとは違い、アパレルは多くの層に受け入れられるということを、裏原宿カルチャーを通じて感じていたのだろう。

その後もアーティストとして様々なブランドとコラボレーションをしていくが、Virgil AblohがLOUIS VUITTONのデザイナーに就任すると大きく時代が動く。
当時のストリートカルチャーを経験してきたVirgilは、LOUIS VUITTON 2019年秋冬コレクションのランウェイでfuturaにライブペインティングを依頼。その後、自身のブランドOFF WHITEでもコラボレーションを展開、鮮やかなグラフィティーをコレクション全体に落とし込んだ。


90年代にfutura達が行ってきたことがメゾンに評価された瞬間であると共にストリートアートにおいて新しい章の幕開けであった。
ここで取り上げた人物や物事が全てではないが当時は、違法なものと見なされていたストリートアートが先駆者達の功績によりアートとして認められ、その後、KAWSやHAZE、そしてfuturaが裏原宿カルチャーと結び付きアートをより身近なものに変えた。
そして、その裏原宿カルチャーから大きく影響を受けたVirgilがモードと結びつけた。
新たなステージに立っているアーティスト達がどのような活動をしていくかが非常に楽しみなのとともに、今後のストリートアートとファッションの結びつきにも期待したい。
Photo by OFF WHITE, WTS CONCEPT STORE